【コメント】
フリーでカタログなどのエディトリアルデザインの仕事をしていた時や大手ゲーム会社でメダルゲームなどの開発業務を行っていた頃は、わたし自身でフォントの選択や製品のロゴ作りをしていました。今回、フォントワークス株式会社様の「mojimo」製品を知ることで、改めて、まだDTPなどの環境が整っていなかった当時を思いだしました。これは、「現在は、パソコンで個人が自由にフォントを操れる便利な時代になったな、、、」という単に回顧主義的な思いなのかもしれません。
ゲーム会社退職後は、大学の教員としてメディア・コンテンツコースを立ち上げ、その後12年間ゲームなどのコンテンツ制作やビジネスを教えてきました。この中で、わたしのアナログ的なフォント利用の体験を、折に触れて学生たちに話しておりますが、これは“フォントを選び表示することの重要性”を伝えるためです。しかしながら、学生たちは、ゲーム制作実技の授業で、気軽にフリー素材のフォント使ったり、もしかしたらそれほどの思い入れやデザインの意識も無くタイトルロゴを作っているのかと思える例が多いいと感じます。
嘗て、わたしはゲーム業界に入る前には演劇の世界におりました。ニナガワスタジオ時代に、演出家の蜷川幸雄さんが、役者たちに「芝居は最初の3分間で見せる、、」ということをしきりにおっしゃていた記憶があります。もしかしたら、フォントの役割りはそれに近いものかも知れません。
ビデオゲームにおいては、オープニング画面でプレイヤーを引き込む“掴み”が肝要ですし、ときに激しく移り変わるゲーム画面では、キャラクターや背景デザインの趣向にあったフォントを選ぶ必要があります。そしてそれは、作り手の勝手な思いだけでは選べないことは言うに及びません。なぜなら、そのゲームをするプレーヤーの視認性も考慮しなければならないからです。
“フリーだからタダ、、”という安易な思いで適当に選んだフォントを使うという意識を変える意味でも、「mojimo」製品は、ゲームを学ぶ学生が、“無理のない範囲でお金を支払う”ことで、ゲーム画面で使用するフォントについての意識を変えることが出来るのではと期待しています。
【プロフィール】
1.川村順一履歴(1955年3月4日生まれ。)
78年早稲田大学法学部卒業(法学士)。在学中から演劇活動を行い、小説家水上勉主宰の「越前竹人形の会」にて舞台監督及び舞台美術を行うと同時に、水上勉氏と出版・演劇企画三蛙房を設立。
図書の発行人として、「ブンナよ木からおりてこい」を発行人として出版。
1981年新日本法規出版株式会社に入社。単行本の企画出版などを行う。
新日本法規出版株式会社退社後、1984年に渡米。ニューヨークに1年間滞在し、絵画作品制作及び写真制作を行う。
帰国後、編集者、舞台美術家及び空間デザインプロデューサーを経て1988年に株式会社ナムコ入社。
テーマパークの企画やエレメカゲームの開発を経て、「鉄拳」シリーズや「ソウルエッジ」「太鼓の達人」「塊魂」等のビジュアルデザインプロデューサー、ナムコDHゲームラボ部長(事務局長)などを歴任。
2002年より2003年まで、台湾最大手のオンラインゲーム会社の日本法人株式会社ガマニアデジタルエンターテイメントジャパン取締役兼開発部長を務める。
2003年7月から2009年4月まで人材派遣会社の株式会社デジタルスケープの顧問を務めるとともに、2005年4月 宝塚造形芸術大学教授に就任。
文化庁メディア芸術祭の企画展のプロデューサーを務めたことを機に、各種イベントのプロデュースや審査に関わる。
2007年よりアジアグラフのプロデューサーとして、アジア地域のデジタルアートの交流に努める。
2009年4月文京学院大学文京学院大学 コンテンツ多言語知財化センターシニアプロデューサー及び非常勤講師(経営学部)に就任
2011年4月文京学院大学大学院客員教授就任。
2011年1月宝塚大学(旧宝塚造形芸術大学)学部長就任。
2011年9月新宿区「歌舞伎町タウン・マネージメント広報大使」就任。
2012年4月より「新宿クエイターズ・フェスタ」のプロデューサーに就任。
同年6月より新宿区タウン・マネージメント委員会委員に就任。
2012 年10 月公益財団法人大阪市都市型産業振興センターメビック扇町
首都圏コーディネーター就任
2014年10月 中国吉林動画学院客員教授に就任
2.その他歴任委員及び会員
・(元)経済産業省/財団法人デジタルコンテンツ協会 政策委員会委員
・(元)日本アニメーション学会会員
・(元)芸術情報学会会員